コーチング学と
実践現場の架け橋

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伝わらなかった経験から自分を知る

コーチという生き物は,自らのいかなる取り組みについても,無駄なものは一つも無いのだと言いたいものです.単純と揶揄される陸上競技においてさえ,コーチの営みは,動きという物理現象に働きかけることはもちろん,実態が見えない精神,競技者を取りまく環境そして現在・未来を含む複雑系への働きかけです.このような特性を度外視しても,コーチの取り組みの成功・失敗を明確に論ずるのは難しいものです. 

あるとき,他大学に出稽古に行った学生が「〇〇先生にこんなアドバイスいただいて,それがすごくハマって良い投げができました!」と報告してくれました.ただでさえこんなときコーチとしての私の心理は複雑です.胸に去来するのは競技者の成長を誘発できた喜びとともに押し寄せる嫉妬のような感覚です.しかもそこで学んだ内容が,普段から自分が伝えようとし続けていたことだったらどうでしょう『それいっつも言うとるやつやん』という心の底からの声を飲み込み「おおそうかよかったなー 勉強になるわー」とその場を取り繕います.その後練習中に詳細を少しずつ聞き出すのですが,そこで自分の問題点が浮き彫りにされます.

競技者の出稽古での学びが,私自身のコーチングの問題点を白日の元に晒す経験はよくあります.「伝わらなかった」背景には,往々にして手段選択の問題があります.例えば,バイオメカニクス的な視点で得た動作改善の視点に自信を持ち,拘泥することで,問題の重要な原因を見落としたり,問題は示すけれども解決策に向かう言葉が足りないせいで理解が得られないというような状況です.競技者が抱える問題への働きかけについて,競技者の取り扱う変数を減らすことを重視した結果,最も有効な働きかけの選択に失敗しているわけです.しかも競技者のことを思って生まれたものですから「正しいこと言ってるんだから,わからないほうがおかしいだろう」そんな頑なさにつながります.しかしこんなとき,伝わらないのは選手の理解力不足と断じて諦めてはいけないのです.実際くだんの他大学の先生は誘発しようとする動きは同じだけども,私とは異なる表現や具体的な動きで競技者に変化を生んだのですから. 

私は,基本的には競技者の頭に入って競技者を操縦するのはちょっと違うと考えています.直感的な言葉やイメージで働きかけつつ,力学的な事実や因果関係の理解を促すようなそんなやり方ってないものか?伝えたい内容にさまざまな方向から光を当てて,側面を見せているうちに実態やその見つけ方にまで気づいてくれるような.最近は,自分の知識や手段を提示するまえに,競技者から事情を聞き出すことを大切にするようになりました.また問題の分析がうまく行ったからといって,鬼の首を取ったように持論展開することは控えるようにしています.投げのスタイル,技術の成立には競技者それぞれのコンテクストがあります.そこに思いを巡らせるのです.結局は競技者の成長が究極の目的なのですから,本来はそれが達成できれば十分なのです.しかしコーチも人間です.ちょっと救われたい自分可愛さのせいで目標達成の満足感が損なわれたりします.一方で,出稽古に行った学生がそこでの発見を嬉々として話してくれる関係というのはコーチとしての私が理想とする関係です.コーチ,競技者双方の立場からぐるぐると考えているうち,「失敗認識」の根源は自分が操縦してうまく行ったと自分の手柄を主張したい心だったことに思いが至ります.結局のところ,愛をもって競技者の未来に向けてコーチングを行うことを前提とすれば,成功・失敗さえも自分の心が決めるということに気づき,少し肩の荷が降りた気がしました.

大山 卞 圭悟(おおやま べん けいご) 陸上競技指導者

1970年兵庫県西脇市生まれ、筑波大学陸上競技部部長・コーチ、趣味は魚釣りとバードウォッチング

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