コーチング学と
実践現場の架け橋

コーチングにおける
失敗事例からの学び

遠回りの先に、日本一がある 〜失敗と決断が刻んだコーチング〜

指導者として現場に立とうと思った原点は、選手時代に果たせなかった「日本一」を、今度は指導者として実現したいという思いだった。

その志を胸に歩み始めた指導者人生の中で、一つだけ挙げるとするならば、今も忘れられない敗戦がある。

30歳、2008年の出来事だ。

当時の私は、地域で常にベスト4以上の成績を残していた。その自負があったのだと思う。大会前日、保護者会主催の食事会に参加し、和やかな時間を過ごした。そして迎えた翌日、私の心のどこかに「初戦は勝てるだろう」という安易な気持ちがあった。

結果は、ベスト16での敗退だった。

試合が終わった瞬間、言葉が出なかった。選手たちの涙を前に、私は自分の慢心と向き合わざるを得なかった。勝負の世界に「勝てる保証」などない。この経験が、私のコーチングの根本を変えた。それ以来、勝つための準備を徹底することが、指導者としての絶対条件になった。

慢心と、指導の構造的な誤り。この二つの失敗が重なったとき、私は根本から問い直すことにした。

20代はただがむしゃらに走り続け、良いと言われるものに手当たり次第に飛びついた。しかし量をこなすだけでは何かがつながらない。そう気づいた30代から、1年を4期に分けて3ヶ月ごとにテーマを設定し、「今の自分に何が必要か」を問いながら学ぶスタイルに切り替えた。点と点だったものが線でつながり始め、YouTubeで海外の指導現場を繰り返し観ることがその整理をさらに加速させた。

さらに大きな決断が訪れる。

約20年間指導した公立高校を離れ、私学で一からやり直すことを選んだ。また、部活動の地域移行という時代の流れに合わせ、2020年にはU15のクラブチームを一般社団法人として設立した。「このままでは日本一を目指せない」という危機感が背中を押した。地元の他のチームが日本一に輝いた瞬間を目の当たりにし、「本気でそれを目指す環境に身を置く」と覚悟を決めた。

その覚悟とともに、一つの考えが生まれた。「本気で日本一を目指すなら、日本一苦労してもいい」。この思いが、どんな困難も受け入れる土台となっている。

そして現在、私が最も力を入れているのは「組織づくり」である。

時代が変わり、選手も保護者も変化している。だからこそ、「何を大切にするのか」「何は許容しないのか」を言語化し、共有することが不可欠だと感じている。毎年ハンドブックを作成し、組織図と役割定義を整備し、目標設定シートで各自の焦点を明確にする。定期的なミーティングとブログによる情報発信で、選手だけでなく保護者とも認識を共有する。

近年はコンプライアンスへの対応も組織づくりの一環として位置づけている。役割定義の中に「ハラスメントマネージャー」という専任ポジションを設け、いじめや指導者によるパワハラが起きていないかを定期的にチェックする仕組みをつくった。問題が起きてから対処するのではなく、構造として予防する。それが今の時代に指導者に求められる姿勢だと考えている。

振り返れば、決して最短距離を歩んできたわけではない。公立から私学へ、部活動からクラブへ——その都度、遠回りに見える選択をしてきた。しかし今思えば、その一つひとつが「日本一を目指す」という思いを、より深く、より強く刻み込む時間だったように感じている。遠回りだからこそ見えた景色があり、遠回りだからこそ出会えた気づきがあった。

それでも、着実に前進できているという手応えを感じている。あの2008年の敗戦から、すべてが始まった。やり抜いたことによる失敗、その失敗との正直な対話、積み重ねと覚悟を伴う決断——その連続が、今の私をつくっている。

コーチングに正解はない。だからこそ、その時々に自分が正しいと信じたことへ全力で向き合い、その結果と誠実に対話し続けること。

選手時代に果たせなかった日本一を、指導者として目指す。その原点を忘れず、あの日の敗戦に感謝しながら、これからも遠回りを恐れず、前進し続ける指導者でありたい。

吉田 聡(よしだ さとし) バスケットボール指導者

京都両洋高等学校女子バスケットボール部ヘッドコーチ。一般社団法人CLUB SIGNPOST代表。公立高校で約20年間指導後、私学へ転じ現職。