コーチング学と
実践現場の架け橋

コーチングにおける
失敗事例からの学び

【日本コーチング学会】特集企画「コーチングの未来」

1.厳しさの連鎖からの脱却:承認と自己変革の瞬間

私は、高校、短大とバスケットボールの強豪校で過ごしました。練習では監督の要求に答えられず厳しい日々を過ごしていました。全国大会優勝や何十年も連続でインターハイに出場していた実績を持つ監督の指導であれば、勝つためなら厳しい練習が当たり前だと受け入れていました。卒業後は日本航空のバスケットボール部に入団しました。そこでは更に厳しい韓国人監督の指導があり、創部初の皇后杯優勝や、個人としても全日本のメンバーに選出され、2004年のアテネオリンピックに出場しました。この経験から、結果を出すためには「厳しさを乗り越えることで成長できる」という信念を疑いませんでした。しかし、指導者になった際に、過去の経験が指導の「型」として根付いてしまい、無意識に自分が受けた「厳しい指導、厳しい口調」をなぞってしまうというジレンマに直面しました。

2.初めての「承認」とコーチングとの出会い〜心が動いた瞬間〜

ある日の指導中に、思わず「今、よかったよ。できていたよ!」という一言が出ました。今日も怒られるだろう、と思っていた選手は私の言葉に目を輝かせました。私は、「怒られないようにする」ことから「認められて嬉しくなる」ことへのモチベーションの源泉が切り替わった瞬間を目の当たりにしました。この「心が動かされた」出来事は、指導が技術ではなく人と人との関わりであることに気づき、「コーチング」を探求する動機になりました。その日、私はインターネットで「コーチング」を検索し、早速研修プログラムを申し込みました。

3.ビジネスコーチングからの学びと実践〜話が聴けることのありがたさ〜

そこには「承認」「傾聴力」「メッセージの伝え方」といったコーチングのスキルがたくさん紹介され、受講者同士でもロールプレーなどを用いてたくさん実践しました。傾聴の実践では、 とにかく話を聞くことに専念した結果、選手たちは私の想像を超える良いアイディアやチームへの愛を持っていることを発見しました。これは、「教える」側から「引き出す」側へと役割を変えたことで、初めて見えた選手の主体性と内発的な資源でした。

4.囚人のジレンマとコミュニケーションの課題〜東海林祐子先生との出会い〜

しかし、選手同士のミーティングになると、キャプテンやベテランに発言が偏るという違和感を覚えました。そんな時に出会ったのが東海林祐子先生です。先生からは、ゲーム理論の「囚人のジレンマ」の状況を教えてもらいました。それは、チーム内で「発言することで損をするかもしれない「批判される、発言の責任を負う」、「間違っていたらどうしよう」、「何を言っても怒られるなら言わないほうがマシ」という恐れがある場合、合理的な選択は「発言しない(裏切り)」になってしまう、という構造的な課題に気づかせてもらいました。その後、他競技でのある取り組みを教えてもらい早速実践しました。

5.環境づくりによるコミュニケーション変革と成果〜3つのグループ分け〜

この課題を解決するため、私は「とにかく、人前で話すことのハードルを下げること」を第一の狙いとし、選手を少人数制のオフェンス、ディフェンス、ムード班に分けることで、各分野に絞った発言機会を作ることでテーマを明確にしました。グループに与えた課題として、毎日各班の1人が練習の前後に全員の前で発表することでした。その仕組みは、発言を「特別なこと」から「日常のルーティン」に変え、心理的安全性を高めました。当初は抽象的な目標で声も小さかったのですが、数週間後、選手の発言は抽象的なものから「この局面の時はこのような声を出します」「このシュートを5本トライします」といった具体的な発言へと進化しました。
(例)ムード班の発言: 「試合中に困ったらベンチを見てほしい」 「私が全力で声がけする。ベンチでも一緒に戦っているから!」
という発言は、選手が自らチームへの貢献と責任を理解し、内発的なリーダーシップを発揮し始めたことの象徴だと感じました。また、シーズン全体で失点平均が下がったという事実は、最もコミュニケーションが重要なディフェンスの局面に、変革の成果が具体的に現れたことを示唆しています。引退後、社業に専念している選手から「グループ分けのおかげで社内でも緊張せずに発言できた」というフィードバックをもらいました。この取り組みにより、バスケットボールのスキルを超え、社会で通用する言語能力と自己発信力というライフスキルを提供できたのではないかと嬉しく思っています。

6.現在の指導哲学〜選手の人生を背負う覚悟〜

私は、コーチである以上、選手の人生を背負っているという覚悟を持っています。「競技力の向上」だけでなく、「選手自身でも気づけなかった魅力に気づかせ、自分の人生を主体的に生きる力を引き出す」という、コーチングの目的を持って選手と接しています。
私の初めての承認を受けた選手に出会ってから約20年が経ちました。「答えを与える指導」から「答えを引き出す指導」へ、そして「選手を育てる」から「選手が自ら育つ環境を作る」ことをコーチとして今後も大切にしたいです。

薮内夏美(やぶうちなつみ) バスケットボール指導者

ENEOSサンフラワーズアシスタントコーチ。元日本航空JALラビッツ所属選手、2004年に皇后杯優勝、日本代表としてアテネオリンピックに出場。Wリーグ・日立ハイテククーガーズのヘッドコーチを務めたのち、女子バスケットボール日本代表アシスタントコーチ、女子アンダーカテゴリー日本代表ヘッドコーチを歴任。